スタッフ紹介
千葉県出身の明るい両親から生まれる。兄と妹の3人兄弟。
『幼少期』
幼少期の頃は人見知りなどもあまりなく、元気でやんちゃな性格だったみたいです。
今でもそのなごりが少しあると思います…(こんなことやあんなこと。笑)
『小学生』
小学生の時は、勉強は下の下、運動に関しては中の下であまり得意ではなかったですが、やんちゃな友達からの誘いで野球を始めました。
最初は、軽い気持ちで始めたものの、野球の魅力にどんどんのめり込んでいったことが思い出されます。
いつの間にか、学校が終わったら、いつもの壁当て場所に行くのが日課になっていました。笑
『中学生』
中学生になり、迷うことなく野球部に入りました。
とはいえ、実際には野球をやるよりも見る方が好きだったんです。
気がつくと、地元球団の千葉ロッテの大ファンになっていました。
ということで、あっけなく、半年で野球部を退部することに…
あの頃の福浦選手、カッコよかったなぁ〜なんて思い出に浸っております。
ところが、1度はやめてしまった野球ですが、中学3年生の春、甲子園で行われている高校野球をテレビ越しでみていたら、ざわざわと熱いものを感じたんですよね。
心に火が灯るっていうのはこういうことを言うんですね。
「もう1度野球をやりたい!」
『高校生』
当然、迷うことなく野球部に入りました。
ご安心ください!
半年で野球やめてませんからね。笑
高校時代は、野球一色といってもいいくらいの生活を送っていました。
僕らの時代は、まだ体罰などもギリギリある世代です。
賛否両論ありますが、今となっては人としての基礎を学ばせていただきました。
有難いことに、挨拶や礼儀、忍耐力が身につきました。
ここだけの話、未だに当時の顧問の先生を見ると緊張が走り、背筋が真っ直ぐになります。
いくつになっても上下関係って変わらないものですね。笑
この時に頂いた背番号は『9』
嬉しかったなぁ〜
今でも何か数字を選ぶときは『9』を選んでしまいます。
僕に力をくれる数字とでもいうのでしょうか。
そんな、僕に力をくれる数字の「9」を背負っていたとしても、どんなに気をつけていても野球をしていると怪我がつきものです。
当時は外野を守っていましたが、顧問の先生の勧めでピッチャー(投手)をやることになりました。
実は、野球をやりはじめた時からピッチャー(投手)をやりたかったので、『よっしゃ〜』と叫びました。(あっ、心の中ですけどね。笑)
本当に嬉しかったのを覚えています。
そこから投球練習を重ねている間に肘に違和感を覚えました。
大したことないだろう、と思い投げ続けていたら、、、次第に症状は悪化していきました。
日常生活で肘を曲げるだけでも痛みが出るようになりました。
気がつくと、テーピングを巻かないと投げられないほどでした、、、
この時は、知識もなく、もっとケアしておけばよかったと思います。
ですが、今の仕事につくキッカケをくれたのも怪我があったからです。
この怪我で整骨院・鍼灸院に定期的に治療に通うようになり興味を持ったのです。
意外と僕って、コレと決めたら行動できるようです。
なぜなら、高校3年生の終わりから整骨院・鍼灸院でアルバイトをしていましたからね。(〜大学卒業まで)
『大学生』
とはいえ、大まかな進路は決まっていましたが、具体的な進路ははっきりと定まっていなかったので、柔道整復師・体育の教員免許・アスレッチクトレーナーの3つが取れる大学に進学しました。
大学ではスノボーやフットサルなど今まで経験のないスポーツを体験したり、友達と遊びに行ったりと高校生では体験できなかった学生生活を十分に満喫しました。
『はじめての職場』
卒業後は都内にある総合クリニックで柔道整復師として働き、整骨院では見れないような稀な症例を多く経験しました。 職場には医師・看護師・薬剤師など違う資格の方とも交流する機会があり、色んな方との交流を楽しみながら、知識の幅が広がりました。
2年目より鍼灸の専門学校に通い始めました。
年齢層も幅広く、鍼灸の勉強はもちろん人生の先輩方から多くのことを学びました。
また専門学校の卒業生にプロ野球選手の専属トレーナーの方がおり、その方に1年間体幹トレーニングについて学ばせて頂きました。
『2つめの職場』
専門学校卒業後は千葉にあるグループ経営の整骨院・鍼灸院で院長として働きました。
同時に高校のラグビー部と大学の女子ラクロス部のトレーナーも兼任していました。
この時期からより一層技術や知識を高めたいという思いが強くなり、色々なセミナーや勉強会に参加するようになりました。
『そして、茨城へ・・・』
生まれてからずっと千葉で過ごしていたので、一度違うところで過ごしてみたいと思い茨城に引っ越してきました。
日々の仕事をしているうちに体に対しての知識が不足していることに気づき、知人の勧めもありハワイ大学で行われる解剖実習に参加しました。
ここでの経験がとても刺激的で自分の院を持ちたいと思うきっかけになりました。アメリカと日本でここまで違うのかと感じることばかりでした。
日本は安静にすることが多いですが、アメリカでは積極的に動かすことが多い。
自分の実体験と合致する部分が多くありました。
一緒に参加されていた先生方も素晴らしい人ばかりで影響を強く受けました。
日本に帰ってからは体に対する正しい知識を伝えたいという思いが強くなり、また自分の知識で困っている人を手助けできる環境を作りたいという思いが日に日に増してきました。
そして現在開業するに至ります。 これから水戸の方々の健康を手助けできるよう、皆さまと一緒に歩んでいきたいと思います。